「さて?」 ほふ、と息を吐きだして、クレイのスピードを上げさせた。 すると、事の有様を、真っ直ぐ前だけ見ているようで、しっかりと把握しているらしい海賊王が、にやりと笑って振り向いた。 「これで逃げっぱなしって、男が廃るってもんだろ?」 「…全く君って、油断も隙も無いよね」 「褒め言葉として受けとっとくぜ」 何だか楽しそうなギャンガルドに、 「ま、私だって、あの腹の立つ親子と執事に、ひと泡くらい吹かせてやりたいのよね」 キャルまでが参戦する。 「ひと泡どころじゃ収まんないだろう?三つ四つ吹かせちゃいなよ!」 ジャムリムが笑う。 「おれっちもさんせーい!」 タカはなんだか嬉しそうだ。 「じゃ、全員賛成で一致ということで」 にこやかに微笑むと、セインは先頭へとスピードを上げた。 「ラル!ちょっと相談があるんだけど!」 一心に馬を走らせていたラルは、急にかけられた声に驚いたらしい。小さく「キャ!」と声を上げて、肩も小さくすくめた。 「城壁の外まで無事に逃げられたら、詳しい話をしてくれるんでしょ?」 「はい!ですから、今はお急ぎを!」 まだ、兄のカールがパムルを追って城へ戻った事を知らないでいる彼女に、セインは申し訳ないと思いつつ、馬を近づける。 「うん、それでね。ラルなら、この城下町にも、城内にも詳しいだろうから、ちょっと案内を頼みたいんだ」 セインの言葉に、ラルは眼を丸くさせた。 それは、せっかく逃げ切れても、再び城へ戻るというのだろうか。 「状況によりけりかな?まだ、君達から話を聞いていないからね」 ラルは眉をひそめたが、セインは構わずに続けた。 「で、ここの領主のお姉さんたちの嫁ぎ先って、遠いの?」 「あ、あの、近い方もいらっしゃいますが、その?」 「そっか、近いのもいるのか」 にこやかなセインに、ラルはこの男が何を考えているのかさっぱり分からず、なんだか不安になった。 「君たちに迷惑はかけないし、僕らもあの城には戻りたくないし、大丈夫。何もしないから」 それは嘘だと分かったが、ラルはとにかく、何か企んでいるらしい、曲がった眼鏡の男に頷いて見せた。 「良くは分かりませんが、出来うる限りご協力するように仰せつかっております。私に出来る事でしたら、なんなりと」 眼鏡が曲がった原因を知っているだけに、無理に使うこともないだろうにと思う。 「ありがとう。助かるよ!」 曲がったフレームを気にしつつ、嬉しそうなセインをちらりと見やり、ラルは笑った。 「まず、眼鏡を直しましょうか」 「へ?」 そんなに自分の言葉は意外だっただろうか。 きょとんとするセインに、ラルはくすくすと笑った。 「やれやれ、女性って、やっぱり強いよね」 ぽつりと、セインが呟いた言葉は、聞かなかった事にする。 「さ、皆様もうすぐです!しっかりついてきて下さいまし!」 大通りを横切り、裏路地を行く。 馬でこんな事が出来るのも、あの変な条例で、道に人がいないおかげだ。 何が幸いするのか分からないものである。 狭い道で馬を疾走させるのは、なかなか難しい。 家々の隙間のような路地からは、街を囲むあの巨大な壁が見えない。 どのあたりまで来たのか心配になった頃、タカの馬がゴミ箱を蹴飛ばして、大きな音を発てたが誰も現れなかった。 「うー、気味が悪いぜ」 食事の時間は六時から七時まで。その間は、緊急事態でもない限り、領民は家から出ようとしない。 特別に許可を得た憲兵が街をうろついており、見つかれば、捕まえられて牢に入れられてしまうからだ。 兄妹は、城勤めを利用して、憲兵のルートを調べ、彼らに会わずに済む道を知っているのだという。それでも、新しい家庭教師候補が逃げ出したことくらいは憲兵に伝わっているだろう。 慎重に馬を跳ばす。 やがて、行き止まりに辿り着いた。 「ここで降りて下さいませ。馬を牽いてこちらへ」 ラルが、馬から降りるなり、行き止まりの壁をノックした。 かたん、と、右の壁に備え付けられている、小さな窓が小さく傾いて、誰か人の気配がしたと思えば、目の前で壁そのものが、ごりごりと右にスライドした。 馬ごと人が通れるまで開くと、ラルはさっさと中に入ってしまう。 「着いて行こう」 セインがラルに続き、全員が中に入ると、また壁がスライドして、元に戻った。 「凄い仕掛けだね」 滑車をうまく利用して、屋根の下の壁のみを動かしている仕掛けに、セインが感嘆の声をあげた。 「へえ。こりゃどうなってんだ?」 ギャンガルドは興味深々とばかり、閉じた壁を触っては叩いている。 一軒家の壁の向こうは、入ってみれば家の中ではなく、町中の壁に囲まれた、小さな空き地になっていた。 スライド式の壁は、なるほど小さな路地に囲まれ、家々の密集した場所にあるため、城からは見えない位置になっているらしい。 「面白いわ!こんな仕掛けを作っちゃうなんて!この町みんなこんな風になっているの?」 「ふふ。そうだったら良いのですが、こんな大掛かりな仕掛けはここだけです」 きらきらと、大きな瞳を輝かせるキャルに、ラルが微笑む。 「ここは、お嬢様がこっそりと造られた隠れ道です。ここから、閉ざされた門へと抜けられます」 ラルが指差した先を見れば、もうそこに、あの町を取り囲む壁があった。 「閉ざされた門?」 「ええ。この街は周囲の城壁に、門が正門のほかに裏門もあるのですが、他にも隠された門があるのです。普段使われない門なので、閉ざされた門、と呼ばれています」 ジャムリムの疑問に、動く壁を操作していたらしい大柄な男に、ラルは小さな革袋を持たせつつ、全員の疑問に答えた。 革袋を渡された男は、ラルに何か耳打ちすると、キャル達には興味がないようで、のそのそとすぐ横の家の中に消えて行ってしまった。 「その門って、あの執事は知っているんじゃねえのか?」 普段使われない隠された門、というのは、だいたいが城に住む高貴な人間を逃がすための物であることが多い。なら、代々領主に仕えている執事なら、その存在を知っている可能性は高い。 タカのもっともな質問に、城の可憐なメイドはくすくすと笑って、馬を進めた。皆も、彼女に続く。 「うちのお嬢様は、あれでも商売上手でございまして。あの動く民家の壁同様、造ってしまわれたのですよ」 何処か誇らしげなラルは、領主の夫、クロムに仕えているとはいえ、パムルの事が大好きなのだろう。 「造った?」 「はい。お嬢様はホテルで儲けたお金を、困っている人のためにお使いになられます。この領地独特の決まり事で、家族を失い、希望を失った人には特に」 では、さきほどの男も、何がしかでこの街の法に振れでもしたのだろうか。 「彼は、妹さんが男性とお付き合いをしなかったために、病院に連れて行かれ、病室に入れられたままです。それで、家族全員での朝、夕の食事が出来なくなって、街から追放されました」 「なんだそりゃ?」 男女のお付き合いをしないと、病院に入れられて、それが原因で一家そろって食事が出来なくなったのに、街を追放されるなど。 全くもって馬鹿らしいではないか。 「ここは、そういう所です。若者は、年頃になったら必ず一度は恋愛対象を見つけなければなりません。もし、それが出来ずに成人してしまうと、異常とみなされて無理やり精神病棟に詰め込まれます」 「待て待て。家族の団欒だけじゃなくって、恋愛感情まで自由にならないってことか!?」 こっくりと、ラルは悲しげに睫毛をふせて、小さく頷いた。 「彼は、他の領地に家族を置いて、一人残された妹さんの為に、この町に戻って来ました。それを、お嬢様があの壁の見張り番として雇い入れているのです」 先ほど、男に渡していた小さな袋の中身が、彼の家族を養うための物であることは、想像に難くなかった。 「ここの領主は、本当に何だか見当外れも甚だしいわね」 鼻息も荒く、キャルが憤慨する。 「あれでも、全く悪気はないのです。パンナ様はすべての条例を、領民のために良かれと思って制定しているのです」 「悪気がないのが悪いじゃないの」 「それは、そうなのですが…。悪いお方ではないのです。ですから、クロム様も寄り添っておいでですし、お嬢様も、ここを離れずに説得しているのです」 「説得して分かるような相手じゃないでしょ」 「…お目を覚まして頂きたいのは、領民全ての願いなのですけれど…」 「そうね。せめてあのバカ息子を跡継ぎになんて、考えないくらいにはなってほしいわね」 矢継ぎ早なキャルの言葉に、ラルの声はどんどんと小さくなる。 「坊ちゃまには、もっとしっかりしてほしくて、領主にしようとしていらっしゃるようです」 「あの贔屓のしようで、どうしっかりするのよ」 「私も、兄もそう思っていますが…。何分、思い込みの激しい方なので、お嬢様と坊ちゃまは同じくらい手のかかる、同じように可愛がって育てている、そう、本気で仰っていますので、クロム様やお嬢様の言う事には耳をお貸しになりません」 そこで、キャルが首をひねった。 「あのパムルと、あのバカが同じ?」 「ええ」 下手すれば、とっくに女性実業家として独立していてもおかしくないようなパムルを捕まえて、あの、ぐだぐだ屁理屈を並べたててだらだらと、何が偉いのか人を見下したような中身の何もないヘナチョコと、同じと断言してしまうとは。 「ってか、あなた、アレのこと、坊ちゃまとか呼んでいるの?」 「え?そう、お呼びしろと仰せつかっておりますので」 誰がそんな事を仰ったのか、聞く気になれないキャルは、深々と溜め息を吐いた。 「クロム様ってのもねー、自分の妻でしょう。もうちょっと何とかしてやりゃ、あの子があんなに自信なさそうに、いっつもびくびくした子になんか、ならなかったと思うけどねえ」 ジャムリムが大きなため息とともに呟く。 「まあ、現状はどうしようもないよ。これからどうしたら良いか考えるのが、君たち兄弟と、あの親子の問題でしょ?今までどうしようもなかったなら、それはそれで打開策をうち立てないとね」 セインが、慰めるようにラルの頭を撫でると、昨夜と同じに、艶やかな黒髪を小さくまとめた頭を傾けて、ラルは泣きそうな顔で笑った。 「大丈夫だよ。キミの仕えるご主人は、この領地をこんな馬鹿げた決まり事に縛られたままにするような、そんな愚かな人間ではないだろう?」 にやりと笑って、セインは町を取り囲む大きな壁を見上げる。 おしゃべりしている間に、あの壁の目の前まで辿り着いていた。 「私は、クロム様とパムル様を信じています。パンナ様も、きっと、分かって下さいます」 祈るように、ラルは顔を上げた。 「でなければ、兄さんが城に戻った意味がありませんから」 ラルも、セインと並んで、高くそびえる壁を睨んだ。 「え?あの若いの、いなくなってたの?」 「途中からいなかったわ。ジャムリムったら、ギャンガルドがデカすぎて、気付かなかったんでしょ」 「俺のせいかよ」 「城に戻ったってことは、パムルさんを助けに行ったんでやすか」 全員が、馬上のまま壁を見上げた。 真下で見上げる壁は、威圧感満点だ。 「開かずの扉ってのは何処にあるんで?」 タカが、きょろきょろと見まわす。扉らしきものはどこにもない。 「開かずの扉じゃなくて、隠された扉、だろ」 ギャンガルドが馬から降りて、壁をぺんぺんと叩く。 「隠された、ってくらいだから、隠れてんじゃねえの?」 「その通りです」 振り向いて馬上の自分を見上げる大男に、ラルはこくりと頷いた。 「ギャンガルド様、すみませんが、そちらの壁の、ああ、それです。その蔦の葉が、一枚だけ穴が開いていますでしょう?」 「んあ?」 ラルの指さす方向に、ギャンガルドの大きな手と、とぼけた視線が移動する。 「これか?」 一枚だけ、足元に小さな穴のあいた葉っぱが、ゆらゆらと揺れていた。 「その葉の裏のレンガを、引っ張り出して下さい」 言われるままに、ギャンガルドは葉をぺろりとめくり、その裏にあった、壁に溶け込んで他のレンガと見分けのつかないようにカモフラージュされた、新しいレンガを引っ張り出した。 思いっきり楽しそうなのは、気のせいではないだろう。鼻歌まで歌っている。 引っ張り出したレンガは、後ろに金属の棒がくっついており、カクカクと直角に二ヵ所曲がっていた。 その先は、壁の中に消えている。 「えーっと、これってまさか…」 「そうです。それ、ハンドルになっていますので、時計回りに回して頂けますか?」 「お?良いのか?」 鼻歌続行で、ギャンガルドが逞しい二の腕の筋肉を盛り上げて、ぐるぐるとハンドルを回しだした。 ゴトン! 「お?」 鈍い音がすると、ギャンガルドはさらにぐるぐると勢いよくハンドルを回す。 ゴゴン!キャラキャラキャラ… 鈍く音を響かせて、目の前の壁の一部が地面へと吸い込まれていく。 セインとラルを除く全員が、ぽかんと口を開けた。 ギャンガルドは更に楽しくなってきたようで、ぐいぐいとレンガを振りまわすようにハンドルを回した。 …ココン 最後に小さな音を立てて、馬が一頭、通れるくらいの穴が、ぽかりと開いていた。 「さ、お早く潜り抜け下さいまし」 急かすように、ラルが促した。 |
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