壁の前でラルと分かれたのち、キャルたちは荒野を馬で駆けていた。
 理由は簡単。
 ラルの主人であるところの領主の旦那、つまりクロム公の使いで、領主パンナの兄妹を呼びに行くのである。
「あの兄妹も苦労しているわよね」
 別れ際のラルを思い出し、キャルが溜め息交じりに呟く。
「まあねえ。あの領主の周りは、みんな苦労してんじゃないのかい?」
 意外に馬術に長けていたジャムリムが、馬の首を撫でながらキャルに賛同する。
「城に戻ったパムルも心配だし、急ごう」
 セインは自分の前に座るキャルを、振り落とさないようにしっかりと支えて、愛馬クレイを走らせていた。
 ラルの話では、パンナの兄弟は彼女を合わせて七人。
 領主であるパンナが、夫であるクロムと娘のパンナの話を全く聞き入れないのなら、せめて兄妹に説得してもらおうと、クロムが何度か招待状を出しているのだが、誰も返事をよこさない。
 それどころか、ここ数年、七人もいる兄妹のうち、誰も城へ姿を見せないのだという。
 どうも、誰かが妨害しているらしいというのだ。
 それで、キャル達が直接、クロムの使いという名目で呼びに行くこととなった次第である。
 と、言う事で、ラルからクロムの紋章の付いた指輪を借り受け、それを一人目の姉のところで見せて話をしたところ、了承してくれたのは良いのだが、
「その格好では、門前払いを食らいます」
 と、呆れられ、半ば無理やり衣裳部屋に連れて行かれた。
 まあ、確かに、急いで馬を走らせた事もあって、結構埃っぽくなっていたし、セインに至っては、ぶら下がったり何だりしていたので、ところどころ破れてもいた。
 実は末の妹を心配していたらしい細身の夫人は、快く衣装その他を提供してくれると言うので、厚意に甘んじた一同である。
 現在は三人目の村を目指しているのだが、一人目の姉も、二人目の姉も、やはりクロムの送った招待状は届いていないという事だった。
 ふくよかな末の妹とは違って細い顎を傾けながら、そんなものは受け取った覚えがないと、夫人たちは不思議がっていた。
「兄妹が集まると、何か問題があるのかしら」
 キャルの眉間に皺が寄る。
「問題があるんじゃなくて、問題が解決してしまうと困る、そういう事じゃないかな?」
「たとえば?」
「あの町が、というよりは、あの領主がまともになっちゃ困る、そういう事だろ?」
 キャルの疑問を、ギャンガルドがセインへの確認に変えた。
 様々な問題がありつつも、領主のパンナは、別に悪党といえるような独裁者ではないらしい。家族を大事にし、時間を大事にし、若者の将来を憂えているのは間違いないのだという。
 ただ、その方法が、思い込みの激しさによって途方もなく間違っているのだ。
「パンナを陰から操って、私腹を肥やしている奴がいるって事で?」
 タカが頭をつるりと撫でる。
「そう考えるのが自然だよね」
 ジャムリムが日傘をくるんと回し、ギャンガルドへ微笑んだ。
「大方、見当はついてんだけどな。てぇか、奴しか考えらんねぇだろ」
 家族らしくふるまえないという理由で、目障りな連中は追放し、他人の労働時間を極端に短くして外を歩けなくしておきながら、自分の特権を利用して職務を全うするためと、街や城内を見回り取り締まる。
 この領地も、しっかり者のパムルではなく、長男であるからという理由で、息子を溺愛するパンナに勧めて末のルキを跡取りにすれば、ただの悪たれ小僧の跡取りは、母と同じく操れば良い。
 あとは、邪魔な彼女の夫と娘の言動に聞く耳を持たせないように工作すれば、思い込みの激しい彼女はあっさりと自分の家族を裏切るだろう。

 騙されているのも気付かず、家族は大事だと言いながら。

「複雑ねえ」
 ジャムリムが半眼になって呟く。
 パムルの自信の無さの原因は、母親にあると言っても良い。それでも、あの細い背中に、領地の人々と家族を背負って、彼女は今も踏ん張って立っている。
「家庭教師が逃げ出しているのだって、いくらパムルやクロムが手を貸しているとは言っても、上手く行き過ぎていると思うんだよね。まあ、あのバカ息子相手に、まともに教育しようなんて熱血漢がいれば、話は別だけどさ。あれは、精神の根本から鍛え直さないと無理だよ」
「んじゃあ、苦労して捕まえておいて、わざと逃がしてるって言うのか?」
「だろうね」
 それもうすうす感づいていたから、セインを逃がすために、パムルはあんなに早く行動に出たのかもしれない。
「バカはバカのままでいろって事よ。変な知恵付けられたら、将来困るんでしょ。家庭教師を捕まえて来るのも、パンナへのパフォーマンスなのよ」
 金色のふわふわの髪を背後に流し、キャルが呆れたように言った。
「ぎゃふんと言わせるわよ。あのボケ執事!」
「まあ、そうなるよなあ」
「キャル、暴れると危ないから」
 小さな拳をぶんぶんと振りまわすキャルの頭を、セインが撫でる。
「暴れてない!急ぐわよ!」
 見えて来た次の目的地を指差し、キャルが勢いに乗って叫んだ。

 三人目は、兄だった。
 この兄は他の兄弟と違って人のあまり住まない場所を好み、小さな湖に出来た村の片隅に、ひっそりと住んでいた。
「そりゃ、御苦労さんだったね」
 彼の家は手狭だという事で、湖のほとりに彼が作ったという櫓に来ていた。
「招待状は、俺のところには来ていないな。他の兄弟からも、そんな話は聞いていないよ。良い事だ」
 妻も取らず畑仕事をして暮らす彼は、髭もぼうぼうで、本当にあの領主の兄かと思うくらい、ぼろを纏った人物だった。
「家族から逃げたくてさまよったが、如何せん何処へ行ってもあの家が付きまとう。逃げようとすればするほどうるさいのが分かってね。今は諦めてここに定住してるのさ。そうしたら、やっと静かに暮らせるようになった。逃げずにいれば、距離を置いていても放っておいてくれる」
 静かな湖面を見つめながら、淡々と呟く。
「悪いが、一時でも城に戻る気はないよ」
 疲れたような表情を浮かべた。
 湖面を眺めて動こうとしない彼に一礼し、セインは全員を次の目的地へと促した。
「なんだか、見ているこっちが疲れたわ」
 湖からずいぶん離れてから、キャルが頬を膨らませた。
「故郷とは、遠くにありて思うもの。なんて言うしねぇ」
 ジャムリムが、寂しそうに微笑んだ。
「人生色々、人も家族も色々って事だろ」
 ギャンガルドは面倒臭そうに眉間にしわを作っている。
 面白い話が大好きなギャンガルドだ。たしかに、辛気臭い話は嫌いだろう。
「まあ、あの領主の家族ですからねぇ」
 そのタカの呟きに、全員がうなずいた。
「次はー、っと」
 四人目の居場所を、キャルが地図を広げて確認する。
 案外近いらしい事に、キャルは機嫌を治した。
「順調ね」
「良いじゃない。順調に越したことは無いんだし」
 クレイの上で揺られながら、キャルが地図をしまう。
「まあね。このまま本当に順調に行ってくれれば言う事無しよね」
 本当に、そのまま順調に物事が進めば、残りの三人も今日中には回ってしまえるだろう。
 が、しかし。
 物事というものは、だいたい邪魔が入るのが常であり、だいたいそれが世の理であったりもするもので。
「あらん?」
 艶やかな唇にレースに包まれた人差し指を当てて、ジャムリムが呟いた。
「まあ、そう来るだろうなあ」
 道の向こうから、馬が走って来る。
 物凄い勢いで。
「見た事ある顔だあなあ」
 タカがのんびりと呟いた。
 びょんびょんびょん、と、音を発てて何かが飛んできた。
「どいつもこいつも懲りねえなあ」
「君が懲りない人の筆頭でしょ」
 ギャンガルドが馬を前に出すと同時に、セインは彼に前を開け、自分はキャルを庇いながらクレイを下げた。
「おらよっと!」
 しゅりん、と金属音を響かせたと同時に、腰に下げていた剣を引き抜き、間をおかずに飛んできたそれを、ギャリンと火花を散らせて跳ね返す。
「剣の正しい使い方じゃ無いよね」
「刃こぼれしないのが不思議だわ」
 常人には不可能な荒業を、相手がギャンガルドというだけで決して褒めないのがセインとキャルである。
「おお。当たった、当たった」
 馬で走って来ていたのだから、打ち返されるなどとも思ってもいなかっただろう。
 どこかで見たような顔の彼は、自分の投げた幅広のナイフに勢いよく頬を平手打ちされ、盛大に鼻血を吹いた。
「おお。凄い。あれで落ちないなんて」
「意地かしら。素晴らしいバランス感覚と忍耐力だわね」
「……俺は褒めねぇのに、あいつは褒めんのかよ」
 道から外れて、鼻を押さえながら逃げてゆく刺客はそのままに、ギャンガルドが唇を尖らせた。
「だって、君だから」
「そうね。ギャンギャンだもの」
 いつものキャルとセインのコンビ攻撃が炸裂する。
 すると、無言でギャンガルドは手近の木の枝を折った。
「うら!」
 既に小さくなった刺客の背中に、気合いもろとも投げつける。
 枝はぶんぶんと良く回転し、遠くを走る男の後頭部にヒットしたらしい。小さく「ぎゃ」という声を聞いて、ギャンガルドは満足げだ。
「すぐ機嫌を直しちまうとこなんか、あの人の良いところだよ」
 ジャムリムがくすくすと笑う。
「まあね、僕らも彼の腕だけは信用してるけどね」
「そうね。腕だけはね。腕だけは」
「あー、そうっすねぇ」
 タカが、何とも複雑な表情で、つるりと頭を撫でた。
 そんな邪魔が入りつつ、四人目も、まあまあ順調に会う事が出来た。
 しかもこの四人目、事情を全部話す前に、あっさりとパンナの城へ出向いてもらう承諾を得る事が出来た。
 なんとなく、年上になればなるほど、離れてはいても本家の事情は呑み込めているようで、多くを話さずとも理解してもらえた。
 しかもこの四人目は、本家の状況を聞き、自らもパンナへ親書を送っていたのに返事が来ていない、とのことだ。
 勘の鋭さと情報収集能力は歳の功、とでも言うのだろうか、既に初老と言っても良いだろう。
 なんというか、貫禄のある女性だった。
「あの子の事だから、心配していますの。あの子、思い込みが激しいでございましょ?凄い事になっているのではないかと危惧しておりましたのよ」
 足を悪くしたという、少し小太り気味の夫人は杖を突いていた。
「困っていましたの。お手紙のお返事が来ないから、里帰りといっても、行っていいものかどうか。そこへ、貴方たちを使いに寄越されるなんて、クロム公も気が利いておいでですわね」
 溜め息を突きながら憂えた様子で言う。
「では、クロム公がこちらへ出されたという招待状は?」
「あら?届いておりませんわ。そんなお手紙をいただいておりましたら、とっくに駆けつけておりますもの」
 他の兄妹と同じことを、ゆっくりとした口調で喋る夫人は、結構マイペースなようだ。
「もう、私、待つのが嫌いで、この前ちょっと戻ってみようかと思いましたの」
 手紙の返事がどうのこうの、などと言っていたわりに、行動派だったらしい。
「え?城へお伺いされたのですか?」
 全員を代表して、出された菓子をつまむキャルを膝に乗せ、紅茶を勧められながらセインが眼を丸くした。
「それが、馬車馬が途中で怪我をしてしまって。せっかく出かけたのに、全部無駄になってしまいましたわ」
「それは、残念でしたね」
「本当ですわ。怪我をした馬は主人のお気に入りで、私こっぴどく叱られてしまいましたのよ?なら、私にも馬をご用意くださればよろしいと思いませんこと?」
 今度は、ぷりぷりと頬を膨らませて怒りだす。
「ご婦人は天真爛漫で可愛らしくいらっしゃいますから、ご主人さまも、ちょっと意地悪をしてみたくなったのでございましょう」
 にっこりと、セインが微笑んで見せれば、一気に機嫌が治った夫人は、気前よくチップを包んで五人を送り出してくれた。
 屋敷が離れてから、全員が笑いだしたのは言うまでもない。
「はっはっは!いやー、まったく、お前さんは天下一の役者になれるぜ!」
「おれっち、あのおばはん相手に可愛らしい、なんて、絶対言えねえ…。旦那流石過ぎ」
「セインさんのあの頬笑みは無敵だねえ」
「まったく、あの時のセインの顔ったら!」
 少しでも情報を聞き出そうと努力した結果、全員に笑われて、セインは機嫌が悪かった。
「何だよ!仕方ないじゃないか。おかげで色々判明しただろ?」
 その通りなのだが、ギャンガルドなぞは、なかなか笑いが止まらないらしい。
「はは!まあな。ごくろーさん、ホント、流石だわ」
 馬を並べてばしばしと背中を叩かれ、むせる。
「分かった。うん。もう、いい加減笑うのをやめないって言うんなら!」
 手を合わせようとセインが手綱を離した。
 ぎょっとしたギャンガルドが、馬から落ちそうになりながら、セインの片手を捕まえる。
「まままま、待て待て待て!」
「君なんか半分にしてやる!」
 二人とも半分涙目だ。
「あー、悪かったわよ。セイン。これあげるわ」
 自分の前に座って、一緒にクレイの背に揺られるキャルが、ごそごそと差し出したのは、彼女おとっときのチョコレートボンボンだ。中身はもちろんリキュールではなく、子供用のチョコレートシロップである。
「キャル…」
 その丸い包み紙を受け取って、セインは何だか泣きそうになった。
「キャルに子供扱いされたー」
「な、何よ、美味しいもの食べれば皆、機嫌が良くなるもんじゃないの!?」
 どうも、自分がいつもセインにされている事をやってみただけだったらしい。
 確かに、美味しい食べ物は人を上機嫌にさせる。
「んふ。やっぱりキャルちゃんみたいな女の子を産みたいもんだね」
 ちろりとジャムリムに睨まれて、ギャンガルドも手を引いた。
「まあ、要点をまとめるとだ」
 ギャンガルドがこほんと咳払いする。
「兄妹同士の交流を、妨害している奴がいる、って事ですかね?」
 タカが禿げ頭をぽりぽりと掻いた。
「そうね。今のところ、クロム公が領主の兄妹に宛てて出したっていう手紙は、誰も受け取っていないわ」
「逆に、兄妹が領主やクロム公宛に出した手紙も、あの城へ届いたっていう話は聞いてない」
「それに、さっきの夫人の言い様だと、誰かが里帰りの邪魔をしたと考えていいよね」
 全員で、指折り数えていく。
「まあ、あの幅広ナイフが飛んできた時点で、分かっていた事だけどな」
 ギャンガルドが、チップと一緒に渡されたクッキーを齧ろうとするので、キャルが怒った。
「あ!ちょっとギャンガルド!それ一人占めしない!」
「良いじゃんよー」
「私だって食べたいの!」
 と、いうことで、全員でクッキーを山分けになった。
「まあ、あのナイフ野郎は置いといて」
 置かれた状況はともかく、のんきに全員で厚焼きクッキーを齧る。
「まあーなー。だいたい見当は付いてるじゃねえか。お。うまいな」
「城に居て、最初に手紙を預かるのって執事でしょ?」
「キャル、零してる。んー、まあ、僕が知っている限りは、使用人が受け取って、主人に渡す前に執事に渡すかな」
「手紙を出すときはどうするんだい?」
「それは、人それぞれかな。でも、クロム公やパムルがあのカントを信用していない以上、カント以外の人間に任せているか、自分で手配していると思うよ。ちょっとこれ、シナモン効き過ぎじゃない?」
「そうっすね、ちょっとこれ、シナモンかけ過ぎっすね」
「疲れた時には甘いものに限るねぇ」
 夫人が手ずから焼いたというクッキーは、上品な甘さだった。
 厚焼きだけあって、ちょっと食べただけで結構腹にたまる。
 各兄妹の家で、お茶を出されているとはいえ、早朝から走りっ放しの一同にはありがたかった。
「で、あのクロムのおっさんなんかが出した手紙って奴は、配達途中に盗まれるかなんかしてんだろうな」
「そうだろうね。で、兄妹の誰かが城へ向かおうとすれば、みんなそれなりにお歳だからね。馬や馬車を使うだろうし、どうとでも邪魔が出来る」
「それがぜーんぶ出来る人物っていったら?」
 それはやっぱり。
「あの執事しかいないねぇ」
 ジャムリムの呟きに、キャルがぷくりと頬を膨らませた。
「っていうか、あの執事で決定よ。もう、ホント腹立つ!」
「まあね。パンナは家族大好きだって言うくらいだもの。兄妹の行き来を邪魔する理由がないしねぇ」
「あと、あのバカ息子にそんな小細工するほど能力も統率力もないだろうしね」
 出会った時の、ルキの尊大な馬鹿さ加減を思い出したらしく、セインは渋面を作った。
「よっぽど嫌いになる何かがあったんでやすか?」
 タカの質問に、さらにセインの眉間のしわが深くなった。
「何かあったって言うか、一目見て、もう見るのも嫌だって思った。全身から馬鹿です!って訴えてるんだから、救いようがないと思うね」
 めったに人を悪く言わないセインが、見るのも嫌だというのだから、一同は同席した夕食に、ちらりとしか会っていなかった事を、密かに喜んだ。
 あの食事の席でさえ、ルキの行儀の悪さと、それを甘やかすパンナの行動に、全員がうんざりしたものだ。
「確かに、あの顔見ながら食事なんてしたくないっすね」
 タカが納得して何度も頷くのに、他の皆も一緒になって頷いた。




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