鉄製の格子の扉は、蔦のデザインが施され、簡素ながら趣があった。 その扉を過ぎると、屋敷の大きさの割には小さな庭が広がっている。その庭もまた、きちんと手入れがされ、けして派手な花が咲いているわけではないのに、色とりどりの花が咲き、素朴ながら美しかった。 「今年は林檎が良く実ってね。良ければ、食べていくと良い」 彼が見上げた先には、赤く色づいた実をたわわに下げて、林檎の枝が広がっていた。 「お一人ですか?」 「まさか。妻がいるよ」 馬たちを繋ぎ、案内されて中に入れば、これまた細身の初老の女性が顔を出した。 「あらあら、お客様?」 「おお。アップルパイを出しておくれ。あれは美味いからな」 「あらあら、張り切らなくちゃ」 「お構いなく」 引き止めようとしたが、パタパタと音を発てて、奥方は奥へと行ってしまった。 「あやつめ。挨拶もせずに行ってしまいよった。失礼だったね」 「いいえ、そんなことはないわ。突然訪ねて来たのは私たちだもの」 キャルが、セインからクロム公の紋章を受け取って、トルム老へ掲げて見せた。 「クロム公のお使いというのは本当の様じゃな。まあ、なんとなくだが内容は分かる。さあ、とりあえずは座っておくれ。まずは落ち着こう」 促され、全員がテーブルの椅子に着いた。 この老人、あのパンナの兄妹とはいえ、何処か貫禄がある。 セインは、そっと探るように、彼の顔をうかがい見た。 「先ほど、僕らが訊ねて来た理由が分かると仰られておりましたが、それは、今の領地の状態が思わしくないと、ご存じだという事ですか?」 そう言うと、ぱっと、右眉を高く上げ、老人はにこりと笑った。 「そういうことじゃな。いや、正しくは、領地の中心であるあの町のみ、と言ったがいいかな」 トルム老の答えに、セインが頷く。 今まで兄妹を訪ねて通り過ぎた町は、全て、あの壁の町のそこかしこに立てられていた、店舗の営業時間を知らせる看板が無かった。 もしかして、と思っていたが、予想は的中していたという事だろう。 「領主の命令を無視して、貴方がた兄弟は、自分たちの治める土地を守っていたのですね」 「治めとるわけじゃない。住まわせてもらっとるんじゃ」 三男を除き、兄妹達は嫁いだ先や、下った先で、小さいながら自らの住む地域をまとめる役目を負っていたのだろう。 「兄妹が多いと大変でな。おのずとズレとる奴も出て来るもんじゃ。パンナは大丈夫だと思っておったんじゃがな。良く考えればアレは末娘だ。良く出来ているようで、甘えん坊だったのを、我等は忘れていたんじゃな」 深々と、老人は溜め息を吐いた。 「徐々に兄妹が城から離れるにつれ、甘えられる相手がクロム公だけになってしまったのじゃろうなあ。何とかしなければと思っておったが、手紙のやり取りも邪魔され、出かけるのも邪魔されりゃ、どうしようもできん。せめてもう少し若けりゃ、何とかなったんじゃが」 そこに、奥方が大きなキャスターに、アップルパイと紅茶を乗せて現れた。 「失礼しますよ。さあさあ、召し上がれ」 目の前に並べられるパイも紅茶も、それはそれは芳しい香りを漂わせ、訊ねた先でクッキーやお茶を出されて口にしているとはいえ、まともな食事を摂っていなかった一同は、遠慮なく頂くことにした。 「美味しい!」 「あらあら。ありがとうねえ」 「素晴らしいねぇ。マダム、作り方を教えていただきたいのですけれど」 「あらあら、でも、うちの林檎だから美味しいのよ」 女性は女性で盛り上がっている。 「お話の続きになりますが、領主でいらっしゃるパンナ様が無理な条例を敷いて、領民を悩ませているという事はご存知で、何とかしたいと思っていらっしゃるのに、邪魔が入るために身動きが取れないのですね?」 「うむ。心苦しいのだがのう」 大きく頷いたトルム老に、セインはにこりと微笑んだ。 「では、僕らと一緒に城へお戻りいただけますね」 「ほ?」 また、片眉を吊り上げたトルム老に、ギャンガルドが答える。 「途中で、大掃除して来たのさ」 「なるほど?」 老人は満足そうに頷いた。 「あら、あなた、お出かけですか?」 今の今まで、キャルとジャムリムと三人でお喋りしていた夫人が、おもむろに顔を上げた。 「うん。ちょっとパンナの顔を見て来るよ」 老人は口ひげを撫でて、妻を見やった。 「あら。でも?」 「妨害する連中は、もういないそうだよ」 不安そうに眉尻を下げる夫人に、にこりと笑いかければ、夫人はパチンと手を叩いて立ち上がる。 「あらあら。じゃ、お支度しなくちゃ。何泊くらいお邪魔して来るの?」 「三日かな。ああ、お前も来なさい。彼らが連れて行ってくれるそうだ」 「あらあら。嬉しいわ。今から?」 「そう。今から」 「じゃ、急がなくっちゃ!失礼するわね」 ぽんぽんと目の前でどんどん会話が進み、夫人は嬉しそうに席を立つと、またパタパタと音を発てて出て行った。 「ふわー」 キャルが感心して、ぽかんと口を開けた。 「熟達した夫婦って、凄いわ」 「ふふ。将来、夫婦になるなら、こんな夫婦になりたいねぇ」 キャルとジャムリムは言いながら、飲み終わった紅茶のカップと皿を片付けだす。 「どうしたの?」 「だって、夫人も出かけるなら、急いで洗わなくっちゃ!」 「あたしら、夫人を手伝ってくるから、男どもはそのままお話してな」 イキイキと動き回る女性たちに頷いて、男は男で感心しきりだ。 「ほほ。女というのはいつの世も不思議な生き物じゃな」 楽しそうに笑う老人に、セインもタカも、苦笑を返した。 「だから止められねえんだろ?」 ギャンガルドだけが楽しそうに、最後のパイを口の中に放り込み、トルム老が大笑いをした。 「楽しそうね?」 「いや、何でもないよ。それより、もう良いの?」 キャルとジャムリムが返ってきたので、一同は出かけるべく腰を上げる。 「台所はね。すっごく綺麗なの!夫人、きっとお掃除好きなのね」 「あたしらも見習うべきだねえ」 女性はやっぱり、女性のペースだ。 玄関先で、夫婦専用の馬車を点検しながらしばらく待つと、夫人が大きな荷物を抱えてやって来た。 「多くないかね?」 「あらあら。二人分ですもの。これくらいは当然よ?」 夫婦も夫婦のペースらしい。 言い合いながらも、ちゃんと馬車に乗り込み、手綱は老が取る。荷物を上げるのは、セインとタカが手伝った。 「さ、行きますよ」 セインの号令を合図に、老夫婦を交えて、来た道を戻る。 城へと進む道中は、来るまでとは違い、とても楽しいものとなった。 壁の町に戻った頃には夜になっていた。 「正面から行っても大丈夫かしら?」 相変わらず威圧的に立ちはだかる巨大な壁を見上げて、キャルが眉間に皺を作った。 「大丈夫でしょ。他のご兄弟も、もう城に着いている頃だろうし」 入るのは簡単でも、出るのは難しいこの町に、また足を踏み入れる。 「パムルが心配だわ」 「ふむ。姪っ子が頑張っているようだからのう。わしらも何かしてやれれば良いんじゃが」 眠い目を擦りながら、老夫婦が黒々と浮かび上がる城を見上げた。 「僕らは、ここでお別れいたします」 町の大通りを進む途中で、セインは馬の足を止めた。 「わしらと城まで行かないのかね?」 「ええ。申し訳ありませんが、僕らはちょっと見つかるとまずいので」 トルムに笑って返すと、老人も笑い返す。 「なるほど?他の道を辿って来るのかな?」 「いいえ?僕らは城へは行きません。あとは、どうぞクロム様にお聞き下さい。それから、出来ればパムル様のお手伝いをしていただければ、領民は喜びます」 「ふむ。あい分かった。お互い、健闘を祈ろう」 にこりと、賢者の様に微笑んで、トルム老は夫人と共に城へと馬車を走らせた。 なんとなく、事情を飲み込んで、あまり深く聞いて来なかったトルムの行動は、流石というべきだろう。 「きっと、全部お見通しね」 「そうだろうね」 のうのうと暮らしていたわけではないだろう、かの老人の快活さと狡猾さ、背負って来たものの重さを知ったような気がした。 「金持ちだからって苦労しないのかって言ったら、人によるってことかね?」 「自覚しているかしていないか、そういうことだろ?」 ジャムリムにギャンガルドが答え、全員が馬首を巡らせた。 「さあ、仕上げと行くわよ!」 一列に並んで細い路地を駆けて行く。迷わずに進めるのは、一度通った道だから。 目の前に、見覚えのある行き止まりが現れた。 ラルがしたように、横壁をコンコンとノックすれば、小さな窓が開いて、男の目が覗く。 「家庭教師候補が来たって、ラルに伝えてくれる?」 そのままそう言えば、うろん気だった眼が二、三度瞬いて、目の前の壁が、朝と同様に、ゴリゴリと鈍い音を発ててスライドする。 「お帰りなさいまし!」 壁の向こうには、泣きそうな笑顔のラルがいた。 「…あら」 一同を見るなり、小さな口元に手を当てて、少し驚いた顔で全員の様子を見渡した。 「お衣装、着替えられたのですね」 何故か頬を染め、恥ずかしそうに俯く。 「ああ、最初のお屋敷で、着の身着のままだと、信用されないからといって提供していただいたのだけど…。変だったかな?」 自分の見た目を気にして、着ている三つ揃えをチェックするセインに、さらに顔を真っ赤にして、ラルがぶんぶんと首と手を振った。 「いいえ!着るものが変わるだけで、ずいぶんと印象って変わるものですね…」 「こんなもの着るの、ずいぶんと久しぶりすぎて着慣れないから、どうかとは思ったのだけど」 「だ、大丈夫だと思います」 「ありがとう」 にっこりとセインが笑ったところで、ラルはまるで湯気が出ているのではないかというくらい真っ赤っかになって、くるりと後ろを向いてしまった。 「え、えと、えっと、こ、こちらです!お馬はここにお繋ぎ下さい。ご案内いたします」 動きが、急にぎくしゃくとぎこちなくなったラルに、全員で着いて行く。 ぼそりと、ギャンガルドが呟く。 「出たよ。天然タラシ」 「ほんとっすね。自覚ないってのが凄いっす」 賛同したタカが、うんうんと頷いている。 「そ、それにしても、キャル様はお可愛らしく、ジャムリム様はお綺麗ですわ」 聞こえたわけでもないだろうに、ラルが唐突に振り向いた。 「私も、着てみたいです」 すると、キャルもジャムリムも、わらわらとラルを囲みこむ。 「まさかずっとメイド服しか着た事ないなんて言わないわよね」 「それはだめ。女は着飾って楽しまなきゃ損だよ!」 「え、いや、あの、私服くらいはありますが」 「よし、じゃあ貰っちゃいなさい!」 「そうよそうよ!これくらいの服、ドーンとくれちゃうんだもの。あと一着貰ったって気にしないわよ、あのおばさん」 「え?あの、どなたで?」 ずいずいと詰め寄られるので、ラルの足がもつれて転びそうになった。 その腕を支えて、セインが慌てた。 「こらこら。まだまだ僕ら、ひと仕事あるんだから。ラルを困らせちゃだめだろう?」 それで、キャルがぽん、と手を叩く。 「そうだわ。私たち、一応全員回って来たんだけど、誰か来てる?」 本当に目的を忘れていたらしいキャルに、溜め息をついたら思いっきり足を踏まれてセインは呻いた。 しかし、忘れていたのはキャルだけではなかったようで、思い出したかのようにラルが口元に手を当てた。 「そうですわ!兄妹様方が、急にお集まりになられたので、パンナ様が驚かれて、それはもう大変です。ムルア様は来られないと連絡がございましたから、あとは、トルム様だけですわ!」 一同を案内しながら、少し興奮気味にラルが報告する。 「おじいちゃんも、奥さんと一緒に私たちと一緒に来たわよ。今頃はお城に着いている頃だと思うわ」 「本当に?ああ、素晴らしい事ですわ!ご兄妹がこんなにお集まりになられたのは本当に久しぶりなのですよ」 「それだけ、あのカントが邪魔してたって事ね」 カントの名前が出たことで、ラルが小さく笑った。 「そのカントですが、もう、顔色を白黒させております。見ていて気持ちが良かったくらいですわ。パムル様も、今朝とは別人のように元気におなりになられて、兄も一息ついております」 「へえ?」 城を抜け出たあと、すぐに別れた二人を心配していたが、どうやら無事でいるらしい。 「カントが、今まで家庭教師を連れて来ても、城で働く事を承諾しなかった理由はパムル様がいるからだと、全部をお嬢様の責任にしてパンナ様に報告したのです。パンナ様はそれはもう、激昂されて、クロム様が宥めたのですが一向に効果がなくて。一時はどうなる事かと思いましたけれど」 ふう、と、小さな胸を上下させ、呼吸を整える。 「お昼くらいにパラルム様とパモーラ様が見えられて、カントからパンナ様を隔離して下さいました。それから次々とご兄妹がご到着されたんです。トルム様がご到着されたのなら、今頃カントは締めあげられていると思いますわ」 安心したように微笑むラルを、ジャムリムがぎゅっと抱きしめた。 「がんばったね」 「いいえ。私など、パムル様のご苦労に比べれば些細なことです」 「そうだ。あの子も抱きしめてあげなくちゃ!」 ラルの頬を、ジャムリムは何度も撫でた。 ぽろぽろと零れ始めた涙をぬぐい、ラルが頷く。 「そうですね。私も、パムル様にくっつきたいです」 「よし、みんなでくっつくわよ!」 「おー!」 女性三人が何やら盛り上りつつ、男三人組は何だか取り残されながら歩いて行くと、周囲の建物よりも、一回りほど大きな建物の前に出た。 「ここです」 建物の前で、ラルが立ち止った。 |
<BACK NEXT> |