「うああー!凄い!」

 オズワルド家の馬車で神殿に辿り着いた一同は、キャルを先頭に、礼拝者と観光客の波に混じって巨大な神殿の中を堪能する。

 流石に、セインの記憶にある頃よりも随分と赴きは変わって、更に巨大化していた神殿は、各時代の名残を其処此処に留めて、荘厳な雰囲気を醸し出していた。

「へえー、遠くから見るだけでも大きくなったなーって思っていたけど、実際に来てみると感動するなあ」

 しみじみと呟くセインは、きょろきょろと視線が忙しい。

「ほほ。セイン様が最後に神殿をご覧になられたのは、五百年前でございましょう。その間に勢力を伸ばした神皇が、金を集めて贅を尽くした結果です」

「うわあ、辛辣だねラオ・・・」

 教会に何か嫌な思い出でもあるのか、ラオセナルはニコニコしながら神官たちが聞いたら怒りだしそうな事を平気で口にするので、セインは気が気ではない。

「贅沢は贅沢でも、信仰が興した芸術は素直に凄いなって思うけど?」

 そっと口にしてみれば。

「そうですな。それも信仰心が純粋であれば、の話ですが。しかし贅を尽くしたものが美しいというのもまた事実ではありますので、これが市民の役に立っているというならもう納得するしかないのでしょうな」

 いわゆる、城や王族の宮殿などに見られる贅を尽くした装飾は、一種の権力と国力を、自国民並びに他国へ見せつけるための意味合いも含まれる。これだけの技術を持ち、これだけのものを造れるのだと指し示す事によって、国民は安心を得、国外には威嚇となるのである。

 だがしかし、神殿が飾りたてられる必要があるのかと言えば、まあ、無い。

 いわゆる祈りの場であり、神への信仰を捧げる場である。

 供物として捧げるなら食物や舞踏で充分で、神様が神殿を飾り立てられて喜ぶかどうかと言えば謎だ。しかしそれも、捧げる側の気の持ちようと言えばそうなので、神殿が美しくなる分には、国民に迷惑さえ掛からなければ別に良いような気もする。

「迷惑がかかった事があるのですよ。これだけのものを造るのに国中から職人を集め、名高い芸術家を呼び、城よりも贅を尽くした時代がありました。まあ、長くは続きませんでしたが」

「ああ、だから、今は神宮が城内にあるんだ?」

「その通りです。良くお気づきで」

「神殿の紋章があったからね」

 一時期、国家よりも神殿が権力をもってしまった時代があった。暴走した神皇が神官たちや神殿に金を注ぎ込み、国内の財政を圧迫した。

 国民と、国王の改革によって暴走は抑えられ、当時の神皇はその椅子を追われた経緯がある。神殿側がそれを恥じ、後の神皇によって自ら進んで城内に神宮を配置したのだという。

「まあ、そういう点では、神殿も我がオズワルド家も、似ている所はありますので」

 眉間に縦皺を作るラオセナルに、セインはくつくつと笑った。

「えい!」

 思わずラオセナルの眉間に指を押し込んで、ぐりぐりと皺を伸ばしてやった。

「な、何をなさいますかセイン様!」

 慌てたオズワルドの眉間を、更にぐいぐいと伸ばしてやる。

「やー、ラオも可愛いなあホント!」

「・・・セイン様」

 もう、充分イイ歳もイイ歳で、孫までいる自分に“可愛い”はないだろう、とは思うものの、相手は八百歳を超えるのである。

 そんな彼から見れば、自分などまだまだ“可愛い”部類なのだろう。

「貴方様には負けます」

 ぐりぐりと伸ばされて、少しヒリヒリする眉間をさすりながら、拗ねるに拗ねられないラオセナルだった。

「ちょっとー!二人で遊んでないで、早く早く!」

 林立する神殿の柱の向こうで、キャルが手を振っている。

 セインとラオはお互いの顔を見やって、笑いあいながら腰に手を当てて眉を吊り上げるキャルの元に急いだ。

「もう!次のお部屋がメインだって、案内板に書いてあるのよ?早く行かないと混雑しちゃって、見られる物も見れなくなっちゃう!」

 様々な天使や女神に縁取られた大きな入口の向こうが、この神殿最大の礼拝堂だ。

 現在進行形で聖剣を奉る礼拝が行われているのは、更に奥の一般人は立ち入り禁止区域になるが、この礼拝堂でもそれなりに祭事を執り行っているらしい。

 人々にまぎれて入室してみれば、天井高く彩られたモザイクタイルの上には宗教画のステンドグラスが色とりどりに輝き、厳かな光の筋を参拝者たちに投げかけていた。

 釣り下げられた大きなシャンデリアの中央から、鎖で釣り下げられた香炉が煙を吐き出しながら大きく揺れている。

 それを、祭壇の中央に居る、シンプルながら一際美しい衣装に身を包んだ神官が、経を口にしながら大きく振り子のように振って、参拝者たちの頭上に特徴的な香りのする煙を振りまいているのだった。

「うわ。なんか僕たち場違いじゃないかな?」

 妙に神聖な雰囲気に、思わず入り口で立ちすくみそうになったセインだったが、結局何も考えずにぐいぐいと進んでしまうキャルと、後ろからおしよせる人々によって、中に押し込まれてしまった。

「ねえねえセイン!あれ!あれもしかして、セインロズドじゃない?」

「へ?」

 キャルに袖を引かれて視線を祭壇に向ければ、中央で経を唱える白衣の神官の背後に、何かを捧げ持っている黒衣の神官が見えた。

「おお。あのアメジストはそうですな、セインロズドですな」

 しらっと言ってのけるラオセナルに、セインは胡乱気な眼差しを向けた。

「良く出来ているでしょう?」

 ぱちんとウィンクで返されて、苦笑する。

 本物のセインロズドはもちろんセインだ。あの神官が捧げ持つ剣は、ラオセナルが用意した、いわゆるレプリカである。本物ではないにしろ、セインロズドの祭典であるのに、当の剣が式典に登場しないのは不自然だ、という事になったらしい。

 もちろん、あのレプリカを作ったのはオズワルド家である。

「当家には貴方様の資料が結構残っておりましてね。先祖も代々、大事に残しておいたようです」

「・・・そうなんだ」

「はい」

 初代オズワルド家当主ローランド・オズワルドの孫たちは、セインを巻き込んで、よく家人に悪戯を仕掛けては当時の執事や乳母に叱られていた。

 彼らが祖父の後を継いで、セインの肖像や彼の持ち物を、子供のころからこっそりと、親の目を盗んで集めては保管していたのだと記された日記が、今でも残されているとラオセナルが言う。

「ライアーも、そのうちの一つでしてな。貴方様が時々弾いて聞かせてくれるのを、楽しみにしていたとありました」

「それで、僕がライアーを弾けるって知っていたのか」

 驚いたセインに、オズワルドはにこりと頷いた。

「彼らはよほど、貴方を好いていたのでしょうね。顔を削られてしまった肖像画でも、貴方の剣の姿は残っていましたから、おかげで復元もできましたし」

「だからって、あのまま神殿に渡しちゃうのはどうかなあ」

 岩に突き刺さっていたセインロズドが抜けた時、聖剣が無くなったと世の中に知らしめてしまうのは拙いと、早々にレプリカを作らせたのはラオセナルだ。

 一般に公開していたセインロズドの突き刺さっていた岩を早々に隠し、そのまま国王に献上した。

 もちろん、ガンダルフもレプリカと知って受け取っている。

「いやいや、あれは更にレプリカのレプリカです」

 面白そうに笑うラオセナルに、セインもキャルも、思わず眼を見開いた。

「は?」

「どうゆうこと?」

 ふふん、と、顎をつい、と上げて、ラオセナルはこっそりと声を顰めた。

「それはそうです。セインロズドはいまだ我が家の岩に刺さったままですから」

 ラオセナルにしては珍しく、悪戯が成功した子供みたいに自慢げだ。

「あ、ああ!そうか!」

 セインロズドが岩から抜けてしまっては、誰かが引き抜いたという事になる。実際はキャルが引き抜いて、セインは今こうしているわけだが、それが世間一般にバレると拙い。拙いからこそのレプリカなので、それは国王に献上された現在も、セインの身代わりとしてオズワルド家の庭の岩に突き刺さったままだ。

「それに、あっちのセインロズドは、ボロボロのままのはずだわ!」

 キャルが初めてセインロズドを目の当たりにした時、何百年もの間、岩に突き立ったままの剣は朽ちてボロボロだった。にもかかわらず、どんな屈強な力自慢が引き抜こうとも、抜けるどころか傷一つ付ける事は叶わなかったのだ。

 ようやくそれを思い出して、キャルがラオセナルを見上げた。

「その通り。誰かれ構わず引き抜こうとしていたあの頃のセインロズドは錆びた鉄の棒の様なものでしたからな。それを皆目撃しております」

「え?じゃあ、なんで神殿のレプリカはあんなに新品みたいなの?」

「それは決まっておりましょう?仮にも神前に捧げる聖剣が、ボロボロでは拙いですからな。あのレプリカは神殿から依頼を受けて、当家で再現したものになります」

 面白いでしょう?と言ってニコニコと笑うラオセナルが、ちょっぴり神殿を嫌う理由が分かった気がした。

「まあ、本物を渡すわけにもいきませんし、私も王もそれを許しませんので、泣きつかれた、というのが正直なところですが、なら、神前に持ち込まねばいい話」

「セインロズドの復活祭と銘打っているわけだから、そういうわけにもいかなかったんじゃない?」

「銘打っているのは王であり城です。神殿は別ですし、国王は一言も神殿に奉納するとは言っておりません」

「ああ・・・」

 妙に納得したセインとキャルだった。

 あの、恭しく捧げ持たれたセインロズドは、要するに神殿の見栄の為にわざわざ用意されたレプリカだという事だ。

「誰の得になるっていうの」

 呆れたセインの一言に、ラオセナルは溜め息一つこぼして、

「さて?」

 と答えただけだった。

「実際、復活祭と言っても、聖剣が見つかった、というだけの話ですからな。当家にしてみれば、見つかったも何も、毎日眼にして生活しておりましたから」

 国王の思惑があるにしろ、オズワルド家の人々にとって、今回のお祭り騒ぎそのものが『何を今更』な話なのである。

「そうよねえ、おじいちゃんのおうちのお庭に、ずっとセインが突き刺さっていたわけだから」

「キャル。その言い方、合っているけど止めて?」

 容赦ないキャルの、ちょっと情けない表現に、真剣にお願いをするセインだった。

 そんなやり取りをしていても、神殿の祭事はどんどん進む。

 実情を知らなければ、それはとても荘厳な雰囲気の中で行われ、アーチを幾重にも重ねた礼拝堂は美しく、場内に歌うように響く祈りの言葉は、確かに癒しの効果は絶大だった。

「あれだね、上は色々たくらんでいても、下が純粋だったりするとそれなりに神様が助けてくれそうな気がしたよ」

 神殿を出て日の光に当たったセインが、ぼーっとしながら呟いた。

「気がしただけでしょう?あたしも迂闊に感動しちゃったけど」

 キャルはキャルで、しっかりと神殿の土産屋で、神話がモチーフの小さなチャームを買ってしまっている。

「それなりに信者は真面目ですからな。市民あってこその国ですし、信者あってこその神殿という事でしょうな」

 うむうむと、一人納得しているラオセナルに、キャルもセインも一緒になって頷いた。

「なんか分かる気がするわ」

 目の前の神官が持っている剣が偽物であろうがなんであろうが、信者には関係が無いのである。必要なのは信仰心のみなのだ。

「レプリカなんぞいらぬのに、あ奴らは無駄ばかりしよって、後で尻を叩いてやる」

 とは、当のガンダルフ国王の言である。

「さあ、帰ったら美味しいご飯食べるのよ!」

 帰りのオズワルド家の馬車の中で、キャルが何故か気合いを入れた。

 しかし当然、美味しいものに眼が無いのはキャルだけではない。ラオセナルもセインも、何が出て来るのか楽しみにしているのは変わらないので、三人とも自然と頬の肉が緩む。

「今朝のご飯も美味しかったよねえ」

「ええ。長年の付き合いですけれどね、あれだけ手の込んだ朝食は初めてかもしれませんな」

「お昼のデザートは何かしら?楽しみ!」

 昼食の献立やら神殿の奉納祭の感想やら、そんな話をしているうちに、とっととオズワルド家に馬車が到着する。

 食べ物の話をしたせいか、キャルはすっかりお腹を空かせていたらしい。

「お帰りなさいませ。昼食のご用意が出来ておりますが、」

 オズワルド家のダンディで優秀な執事が三人を出迎え、全部を言い終わらないうちにキャルがぴょん、と馬車を跳び下りて、

「ただいま!ごはんごはん!きゃー!」

 嬉しそうに食堂に向かって駆け出してしまう。

 そんなキャルを、優雅に、ス、と差し出した右手一本で留めて、アルフォードが心配そうに眉を下げた。

「走られると転びますよ?」

「ありがと!」

 それでも足早に駆けて行くキャルを見て、セインは肩を落とした。

「ごめんね」

「セイン様が謝られる事ではございません。あの活発さがキャル様の美点でもありますから」

 既に視界から消えたキャルの背中を、微笑みながら見送るアルフォードに、セインはなんとなく、娘を躾しそびれた父親の様な気分になった。

「ん。ありがと」

 この屋敷に厄介になってから、何だかんだと自分たちに気を使ってくれる執事は、本当に優秀で、既にセインは彼に頭が上がらないでいる。

「さあ、セイン様もラオ様も、お疲れでしょう?料理長が手を拱いて待っておりますよ」

「ほほ。それは楽しみだ」

 ラオセナルの杖を預かり、上着を脱がせながら、アルフォードは二人を食堂へと誘導する。彼の手際の良さは流石で、気がつけば三人ともきちんと手を洗い、食卓の席に着いていた。

「いただきます!」

 キャルは勢い良く、手前の白身魚のムニエルに始まり、トウモロコシのスープにフルーツの盛り沢山入ったサラダを食べて行く。

「美味しい!」

「それはようございました」

 本当に美味しそうに食べるキャルの様子に、ラオセナルとアルフォードはもちろん、給仕を賄ってくれるメイドまでがニコニコしている。

 セインは魚もスープももちろんだが、若鳥の蒸し料理に手が止まらない。

 今朝は胃に優しい料理だった。

 お昼はお昼で、食べやすいように全て一口大に切り分けられて、午後から出掛けることを考慮してか、それぞれに量も多くなく、直ぐに食べ終えられるようにしてくれている。

 そしてなにより美味しいのだ。

「ラオのとこの料理長さんとタカを会わせたら、きっと話が合うんだろうなあ」

 思わずセインが呟く。

「海賊のシェフですか」

「そうそう。タカのお料理は凄く美味しいのよ!」

「それは会わせてみたかったですなあ」

「そうねえ、会っていたら、きっと仲良しになれたと思うわ」

 セインが呟いたのに、話はキャルとラオセナルに拾われて、二人できゃっきゃと会話が弾む。

 そんな二人をぼーっと眺めていたセインに、食後の紅茶がトリュフと一緒に差し出された。

「あれ?」

「お疲れになられた時には、甘いものが欲しくなると言いますので」

 そっと差し出してくれるアルフォードに、セインは一度瞬きをする。

「疲れているように見えた?」

「私の勘違いでなければ」

 しっかり見抜かれていたらしい。大人しく頂戴する事にする。

「ありがとう。いただくね」

「はい」

 昨日からのごたごたで、体力的にはまだしも、ちょっと気疲れもしていたのがしっかり出てしまっていたのかと反省しつつ、丸いチョコレートを口にすると、上品な甘さが口の中に広がった。

「美味しい」

 素直に感嘆の言葉が出た。

「少し、リキュールが入っておりますから」

「うん。ちょっとアルコールが混じってるのが分かるよ。昼間から良いのかな?」

 ころりと舌先で転がして、香りを楽しむ。アルコールでもふんわりとした風味に留めてあって、なんとなくホッと和ませてくれる。

「お酒にはお強いでしょう?ほんの風味付け程度ですから、ご安心ください」

「うん。紅茶も美味しいよ」

 チョコレートも紅茶も、とても優しい味がした。





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