パレードは順調に進み、程無くして城へと到着した。

 と言っても、城の敷地が広いので、門をくぐって、また門をくぐり、三度目の門で漸く停まった。

 楽隊の演奏も止まり、代わって城内に控える門番のラッパが響く。

 なるほど、思いつきの割には公式的にこの祭りはきちんと運営されているらしい。

「陛下!お帰りなさい!」

 薄桃色のドレスの裾をたくし上げ、嬉しそうに走って来るのは、柔らかな茶色の髪の少女だった。

「おお、姫よ。客人の前ぞ。そう走るものではない」

 たしなめながら、それでもガンダルフの頬が緩んだ。

 胸に飛び込む細い体を抱きしめて、頭を撫でてやれば、少女も嬉しそうに笑った。

「これはこれは、メアリティア様ではございませんか。お久しゅうございます」

 ラオセナルが一礼すると、少女はふわりとスカートを持ち上げ、軽やかに足を交差して腰を落とし、淑女の礼を取った。

「お久しぶりですわ。オズワルドのおじ様」

「これはこれは。大人びて来られましたな」

 丁寧なお辞儀に、ラオセナルの頬も緩む。

「お父様のお客さまって、おじ様の事?」

 愛らしく首をかしげる王女に、ラオセナルは苦笑して答える。

「まあ、一応私もお客の中には入れていただいているようですが、正確にはあちらのおふた方です」

 小さな子供と、その子供を馬車から降ろしてやっている長身の青年へと、ラオセナルが視線を向ければ、王女も二人を目にとめた。

 子供はふわふわの綿菓子のような金の髪と、大きな青い瞳が印象的な可愛らしい少女で、幼くまろやかな頬は赤く色づいて、その愛らしさに拍車をかけている。

 対して、青年はほっそりとした体つきで背は高く、全体的に色素が薄い。武術をやっているようには見えないから、学者か何かだろうか?

 王女の視線に気づいたのか、二人がこちらを振り返った。

 彼女の身分を知らないのだろう。挨拶代わりににっこりと微笑まれる。

 そんな二人を、ラオセナルが手招いた。

「はじめまして。ようこそお出で下さいました。私、ガンダルフ二世が三女、メアリティア・フォン・フィオーレと申します」

 先ほどラオセナルにしたように、ふわりと挨拶をする。

しかし、相手にとってそれはどうでもよかったようで。

「あら。そんな固っ苦しい挨拶なんていらないわ。私はキャロット・ガルム。キャルでいいわ。よろしくね」

 キャルと名乗った少女が手を差し出したので、思わず握ると、ぶんぶんと勢いよく振られてしまった。

「僕はセインと言います。よろしく」

 腕ごと手を振られるその横で、長身の彼が名乗る。

 眼鏡をかけた、優しそうな青年だったが、何処か不思議な雰囲気があった。

「ほら、キャルってばそのくらいにしないと、王女様の手がもげちゃうよ?」

「だって美人なんだもの!」

「…君は本当に美人さんが好きだねえ」

 メアリティアをきちんと王女と認識していてこの態度という事は、どうやらこの二人に身分などというものは関係が無いらしい。

 ぽかんとしているメアリティアに、ラオセナルがくすくすと笑った。

「ラオ。笑うなんて人が悪いよ」

 自分たちの事を笑われたと思ったセインが、照れたように頭を掻いた。

「いや、すみません。王女が驚いておられるのでね」

 その言葉で、メアリティアがハッとして、顔を真っ赤に染めた。

「わ、私ったら!」

慌てる王女の頭を、ラオセナルが撫でて落ち着かせる。

「メアリ様においては、初めてのご経験でしょうから、お気になさいますな」

「なに?何が初めてなの?」

 興味深々にキャルが顔を出すものだから、咄嗟にメアリティアは口を両手で押さえた。

 また先ほどみたいに、ぱかりと口を開けてしまっては、父王のお客様に対して余りに無礼というものだ。

「先ほど、キャルが殿下の手を握って挨拶したでしょう?そういう挨拶が初めてなんですよ」

 慌てているうちに、自分が口を開くより先に、ラオセナルが説明してしまった。

 仕方ないのでこくこくと頷いてみる。

「ふうん。お嬢様育ちなのね」

 小首をかしげるキャルの頭に、セインがたしなめるようにポンと手を置いた。


「正真正銘のお嬢様だからね。王女様だもの。庶民風の挨拶なんて、した事がないんだよ。それに、さっきのキャルの挨拶の仕方は、ちょっと大げさだったし」

 あれが城の外に暮らす庶民の挨拶なのかと思ったが、少し違うらしい。

「それにしても、こんな美人が、あの王様の娘さんだなんて信じられないわ!」

 また、キャルに手を取られてぶんぶんと振られた。

「あ、あの。お父様が何か?」

「きゃあ!お父様だって!」

 大きな瞳をキラキラと輝かせ、キャルは嬉しそうだ。

「あの王様には勿体無いくらいだわ!」

 いったい何が勿体無いのか聞いてみたい気がしたが、キャルの勢いに負けて、結局王女は口をぽかんと開けたままになってしまった。

「ほらほら、王女様が困ってるでしょう?」

 セインがキャルを王女から引き剥がす。

「すみません、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですわ。私こそ、驚いてしまって申し訳ありません」

 気遣うセインに、にこりと微笑むと、彼はぺこりと頭を下げた。

「メアリ様。そろそろお勉強のお時間ではありませんか?」

 ラオセナルの言葉に、王女はハッとして顔を青ざめさせる。

 コロコロと変わる表情に、老紳士も苦笑して、ちらりと背後の二階の窓に視線を送ると、そこには窓から腕を組み、いらいらとこちらを睨む教師の姿があった。

「きゃ!」

 教師の存在に気付くと、小さな悲鳴を上げて、メアリティア王女は慌ててぺこりと頭を下げる。

「私、これにて失礼させていただきますわ。どうぞ、ごゆっくりとご滞在下さいませ」

 どんなに慌てていても、淑女の礼儀は忘れない。

 初めの挨拶と同じに、ふわりと礼を取ると、彼女はそれでも走らずに、しずしずと去って行った。

「あの子本当にガンダルフの娘?」

 感心したような嘆息をして、キャルが言う。

「正真正銘、メアリティアは予と第一王妃との間の娘だぞ」

 いつから聞いていたのか、国王が間に割って入り、キャルの頭をぐりぐりと撫でまわした。

「ちょっと!やめてよ!」

 王の手の下から逃れると、キャルはセインの背後に逃げ込み、べ!と舌を出して威嚇する。

「他の子供たちも、晩餐会の時にでも紹介してやろう」

 そう言うガンダルフ王に、キャルは頬を膨らませた。

「いらないわよ。私とセインはタカに会えたら帰るわ」

「そこでギャンガルドではないのか」

「ギャンギャンになんか会ってどうするのよ。クイーン・フウェイルのみんなに会えたらそれでいいわ。それが目的なんだし」

「それは困る。予の用事が済んでおらん」

「知ったこっちゃないわね」

 セインの背後から顔半分だけ出したまま、あかんべーをする。

「そもそも、僕らはせっかく旅した道をこうして戻ってきたわけだし、その分の代償は高くつくっていうこと、わかっているのだろうね?」

 キャルに次いで、セインがにこりと微笑んだ。

「ふん?海賊から聞かなかったか?」

「なにを?」

 片眉を上げるガンダルフが言わんとしている事を察知して、セインは不機嫌を隠さずに眼鏡の奥からガンダルフをねめつけた。

「…ほう?まあ、良い。ここで言うなというならそうしよう」

「是非、そうしてもらいたいね」

 ガンダルフの言葉に応えながら、セインは自身の背後にいるキャルを、王の視線から外すようにさらに背後へと隠す。

 海賊が何を自分に伝えたか、忘れたわけではない。

 その話そのものも、キャルだって聞いている。

 だが、今ここで、その話を振り返してまで、もう一度キャルには聞かれたくない話題だった。

「で?僕に用事って、まさか本当に君の近衛隊を鍛え直して欲しいわけじゃないのでしょう?」

「何を言っておる!もちろん、鍛えてもらえるならそれに越したことは無いぞ」

 ガンダルフが嬉しそうに両手を広げるのを、彼の傍にいた近衛隊の、多分隊長だろう。袖の紋章が一際目立つ若者が、ぴくりと頬をひきつらせた。

「…君の自慢の近衛隊は、よそ者の僕なんかに教えてもらいたくなんかなさそうだけど?」

 先ほどから痛いくらいに突き刺すような視線を近衛隊から感じていたセインが指摘すると、ガンダルフは自分の側近であろう近衛の青年を振りかえった。

「い、いえ!そんな事はありません!自分は貴公に投げ飛ばされた事があります!お手並みは重々承知しておりますので!」

 慌てて言い募る青年を、ガンダルフは指差して、今度はセインを振り返る。

「こう申しておるぞ」

「…どう見たって、君に逆らえないから言っているだけだろ?」

 うろん気な目でガンダルフを見やると、近衛の青年はシャンと背を伸ばして叫ぶ。

「そんなことはっ!」

「あるでしょ?」

 最後まで言わせずに、セインが否定した。

 以前、セインロズドの封印がとかれたばかりの頃。

 ガンダルフが面白半分にセインをからかったために、セインが近衛隊と、この王都の役人を、構わずぶちのめした事がある。

 それが元で、ガンダルフは役所の制度を見直し、様々な改革を民衆と共に行う事が出来たのだが、それはまた別の話だ。

 近衛隊員たちは、国王の傍に仕え、国王の専属の軍隊であり、いわゆる国軍のエリートたちなのである。

 それが、どこの誰とも分からない、得体の知れない、何処から見たって武術だの剣術だのに縁のなさそうな、ひょろりと細い眼鏡男相手に叩きのめされたのだ。

 トラウマは深い。

「正直に言いなよ。ガンダルフの事は、僕より君らの方が詳しいだろ?」

 暗に国王の騒ぎ好きな性格を指摘され、青年はムッとして口を開いた。

「確かに、貴方の実力は、我々が束になっても敵わなかったのだから、相当なものでしょう。しかし、貴方は只の一般市民のはずです。それが、我らが国王に何という態度。あまつさえ呼び捨てにするなど言語道断!かように礼儀を欠いた御仁に、我等は頭を下げる術を知りません!」

 精一杯の虚勢を張ったのだが、セインには効果が無かったようで、彼を指差してガンダルフを見やり、

「だ、そうだよ?」

 などと、この国の主を前に、態度を改める気はさらさらないらしい。

「貴公!」

 掴みかかろうとした青年を制止したのは、当のガンダルフ王だった。

「やめておけ。お前など百人束になった所で、彼には勝てぬ」

「剣術で負けていようと、そう言う問題では」

「やめておけと言うておる!」

 血気逸る若者に、王は苦笑する。

「剣術どころか、誰が束になってもこの方には敵うまいよ」

 一瞬、自分が仕える王の言葉が理解できず、仕方なく押し黙った。

「それは大袈裟に過ぎる。僕はそんな大それた存在じゃないよ」

 言われた本人は、褒め称えられたにもかかわらず、ムッとしている。

 なんとも不思議な会話だった。

 しかし、少し考えるそぶりを見せたかと思うと、セインは近衛の青年に向き直り。

「…そうだね。君は国王だ。その君に仕える彼にしたら、僕の言動は主に対する無礼に値する。僕が悪かったよ」

 ふいに頭を下げた。

 その行動に、青年だけではなく、側にいた者全員が驚いた。

「セイン様が頭を下げるようなことではございません!そもそも、王が貴方を呼び寄せたのですから、これはきちんと説明をしていなかった王に責任がございます!」

 ラオセナルがセインに頭を上げるように促す。

「でも、彼の自尊心を傷つけてしまったのは僕だ」

 苦笑して、セインは顔を上げた。

「それに、僕は僕の素性を知っている人間を、これ以上増やすつもりはないよ」

 それは、自分の正体を知るガンダルフへの釘刺しに他ならない。

「ふむ。なるほど?」

 ガンダルフはにやりと笑う。

「予は、そなたに礼を取ってもらえるほどの人物ではない。よって、そのように頭を下げる必要は無いだろう?予はそなたと対等に会話したい」

 その言葉には、近衛の青年が慌てた。

「陛下!」

「さがれ!」

 王に一括されて押し黙る。しかしその瞳は、セインを睨んだ。

 青年の様子に、ガンダルフは一つ嘆息すると、彼の頭を撫でてやった。

「予に対するお前の気持ちは嬉しい。だがしかし、相手を敬うかどうかは時と場合により、今は相手による。そのようなプライドなど捨ててしまえ」

「!」

「予を重んじ、礼節を重んじる。それも良かろう。だが、それを他人に押し付けてはならん。押し付けは、単なる欺瞞と傲慢の産物だ。違うか?」

 そう言われてしまえば、青年は押し黙るしかなく。

 そんな青年に、王はじゃらりと硬貨の入った袋を手渡すと、にんまりと笑った。

「お前の忠義は良くわかった。近衛の連中は、もう休んで祭りを楽しんでも良いぞ。これは褒美じゃ。皆で遊んで来い」

「これは、勿体無くございます!」

 断ろうとする青年の手に、かまわず袋を押し付ける。

「良いのじゃ。そなたの気持ちに、予は感動したのじゃ。遠慮なく受け取るが良い。微々たるものだが、予の感謝の気持ちじゃ」

 ガンダルフの言葉に頭を下げ、彼は思わぬ褒美に喜ぶ近衛隊を引き連れて去って行った。

「アメと鞭の使い分けが上手いのね」

 キャルがぼそりと呟いた。

「それでなくては、一国は治められぬからなあ」

 そんな事を言いつつ、ガンダルフは満足気に近衛隊の後姿を見送っている。

 しかしせっかくの良い気分を、上機嫌なセインの言葉が打ち破った。

「これで、僕が彼らの講師になる事はまず出来ないよね」

 本気でうれしそうだ。

 思わずガンダルフは眉尻を下げて肩をすくませる。

「あやつに、予に対する態度を改めるような事を言っておったではないか」

「それは、彼みたいな対象が側にいた場合。今は居ないでしょ」

「ラオが居るではないか」

 王に指差され、ラオセナルはその指を弾き、にっこりとほほ笑む。

「私は別に、セイン様が陛下に何を仰いましょうが、どんな態度をお取りになられましょうが、気にいたしませんよ」

「ね?」

 セインはセインで、当然とばかりに同意を求めた。

「むむう」

 悔しがるガンダルフの頭を撫でて、セインが笑う。

「まあまあ。どうせ本気で近衛隊を鍛えてもらおうなんて思っていなかったのでしょう?案外アレじゃないの?道中僕が狙われたりした事と関係があるんじゃない?」

 爽やかに迫力のある笑顔だった。





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